高橋 松亭 TAKAHASHI Shotei 寺島の雨
高橋 松亭 TAKAHASHI Shotei 寺島の雨
作品情報
作家名 | 高橋 松亭/TAKAHASHI Shotei |
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作品名 | 寺島の雨 |
商品番号 | SH-0029 |
寸法 | 全体のサイズ:- 刷りのサイズ:H30.8cm×W15.4cm |
摺刷 | 不明 |
備考 | 切って台紙に貼り付けている |
コンディション
ヤケ | ◯ | シミ | ◯ |
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ヤブレ | チギレ | ||
オレ | 裏打ち | ||
ムシクイ | マージンカット | △ | |
テープ跡 | ピンホール |
作品詳細
郷愁を誘う日本各地の風景を、繊細な色彩と情緒あふれる筆つきとで味わい深く描き、日本のみならず海外でも高い人気を博す、高橋松亭の作品です。
こちらは縦長の短冊型の版画に、細かい雨の描写が印象的な一枚です。背景には茂み、家、木々のシルエットが重なり合い、地面から立ち込める雨靄(あまもや)も描写されていることで、立体的な奥行きを感じます。全体的にモノトーンを基調とした、どんよりと重たい色合いの絵ですが、手前に描かれている人物には鮮やかな色が使われており、見る人の視線を集めます。降りしきる雨の中、足早に路を行き交う人々の様子が、生き生きと描かれています。
作家情報
高橋 松亭/TAKAHASHI Shotei
明治4年(1871)〜昭和20年(1945)
日本 東京都出身
略歴
高橋松亭は東京で生まれ、幼少期から絵に興味を持つと、10歳になる前には叔父の日本画家、松本楓湖より日本画の手ほどきを受けていきます。その後、宮内省にて働くことが決まりますが、この時まだ10代半ば頃だったといわれており、若くして周囲に才能が認められ、在任中は国に仕える人々の服装の図案制作や勲章の模写などの業務に携わりました。
20歳になると、日本美術院を作り上げたことでも知られる岡倉天心を中心として、寺崎広業や富岡永洗などの日本人画家らと日本青年絵画協会を発足しています。これは後進への教育を目的に設立された美術団体で、展覧会の開催などを行っていました。一方で、当時の松亭は新聞、小説、そのほか小学校用の教科書などの挿絵を描く仕事に従事しており、並行して自身の作品制作も行っていました。東京勧業博覧会をはじめとした展覧会で発表した作品は上位に入賞しました。また挿絵描きの仕事も、10年以上の長きに渡って務めたようですが、「日本歴史画報」の挿絵など木版画や石版画作品の出版を頻繁に行っています。
こうして版画作品の制作経験を経た松亭は、やがて30代の頃から、錦絵を扱う老舗商店で版画に携わっていきます。この時行っていたのは浮世絵の複製であったため、絵師としてではなく色ざしなどの工程を担当していたといわれていますが、これがきっかけとなって、新版画の提唱者・渡邊庄三郎との親交が始まりました。松亭の働く店に訪れた渡邊の話から、輸出用版画を出版することとなった際、そのうちの数点を松亭が作画。これが反響を呼び新版画確立のきっかけとなり、松亭が版画家として名を広める要因ともなっています。やがて渡邊が独立すると、松亭に再び絵を依頼し、できあがった作品は新版画として発売が開始されました。以降、当時同じく新版画の版画家として売れ出していた伊東深水や川瀬巴水に並び作品を発表していき、その間には「佳恵」の号もつかっています。
1923年におきた関東大震災では膨大な数の作品と版木が焼失してしまいます。その後復元を手掛けていきますが、この最中である50歳頃には号を「弘明」と改めました。晩年は短冊の木版作品を出版したほか、風景画を写生した日本画を多く作成しました。
作品の特徴
明治生まれではありますが、江戸時代の雰囲気の残る風景を切り取ったシーンや、夕暮れから夜にかけての風景と人々を画面に入れた版画作品が有名です。
版画家として当初は山水画を多く描いていましたが、昭和に入ると他に美人画や動物たちも描いた作品も手掛けるようになりました。桜や雪、夜の月などの情緒的な背景に、うっすらと人物が描かれている作品が多く、背中越しや傘に隠れた人物が風景とともに一つの情景を表現しています。