新版画について

新版画とは

新版画(新板画)とは、大正から昭和初期にかけて盛んに描かれた木版画のことを指します。版元を中心として、従来の浮世絵と同様に画家・彫師・摺師の分業によって制作された、芸術作品としての「新しい版画」のことです。一方で、新版画には浮世絵とは違った面もあります。下刷りをして色に深みを持たせたり、バレンで刷った跡をあえて残したりするなど、木版画の様々な表現を取り入れています。

新版画は、浮世絵商で海外輸出用の新作版画の版元でもあった渡邊庄三郎が大正初期に版行を開始したことに端を発します。明治末期、渡邊庄三郎は版元中心の伝統的な工程による新しい版画を模索していました。原画の作者の意図を大切にしつつ、彫り、摺りはそれぞれに熟練の技を持つ専門家があたるのが最良と考える渡邊に協力したのが、フリッツ・カペラリです。渡邊はカペラリの水彩画作品を次々と版画化していきました。これが後の日本人画家による新版画誕生のきっかけとなります。渡邊庄三郎は、浮世絵の近代化と復興を目指したのです。

その後、橋口五葉が下絵を制作し、渡邊版画店から日本人作家による最初の木版画「浴場の女」を1916年に版行、これが国内の新版画の第一作となります。また、浮世絵の画系を引く伊東深水も渡邊版画店から作品を版行し、橋口と並び美人画の名手として活躍しました。さらに風景画では川瀬巴水や吉田博、役者絵では山村耕花や名取春仙などが人気を博し、完成度の高い作品が数多く生み出されていくこととなります。個々の絵師の創造性を徹底的に尊重した、個性豊かな新しい浮世絵版画が出版され、このような渡邊の活動に呼応して新版画の制作に力を入れる新興版元が次々と現れ、より一層賑わいを見せました。

また、新版画は「浮世絵のリバイバル」として海外、特に米国においては、浮世絵に続き、優れた日本美術として衝撃をもって受け入れられ、輸出用に数多く制作されました。連合国軍最高司令官を務めたマッカーサーや精神分析学者のフロイトらが新版画を蒐集していたと言われています。近年でも、Apple設立者のスティーブ・ジョブズやウェールズ公チャールズの元妃であるダイアナといった著名人が、新版画の愛好家として知られています。

新版画の提唱者、渡邊庄三郎

新版画は一人の版元、渡邊庄三郎から生まれました。日露戦争後の首都東京は近代化が進み、街並みや人々の日常生活、娯楽などが大きく変化しました。江戸の庶民に高い評価を受けていた浮世絵は、写真や新聞などにその役割を奪われ、衰退の一途をたどっていました。貿易商として浮世絵に触れ、その美しさに心を奪われた渡邊庄三郎は、なんとかこの芸術を日本に残せないかと、浮世絵復興を目指しました。渡邊が目をつけたのは「海外」でした。

1914年に藤懸静也と「浮世絵研究会」を結成し、浮世絵の古典研究を始めます。1915年には浮世絵画集「木版浮世絵大家画集」を刊行し、評判を集めました。翌年には自宅の斜め前に「渡邊版画店」として独立開業し、当世の画家の作品を伝統技法によって木版画にすることを試みます。絵師には高橋松亭を起用し、彫師には近松於菟寿、摺師には斧由太郎を採用して短冊形の木版画を製作し、長野県軽井沢町の松本骨董店において夏の一週間販売することとなります。するとこれが好評を博し、避暑に来ていた多くの外国人に購入されました。

古典研究の成果と外国人向けの版画制作。二つの経験を得た渡邊は、新しい版画芸術「新版画」を構想しました。絵師、彫り師、摺り師の三者によって生み出される日本特有の芸術を、力のある絵師たちと組み、欧米から「SHIN-HANGA」と認知、賞賛されるところまで引き上げていきました。

関東大震災による転換

新版画は順調な普及活動を展開していましたが、1923年9月1日、関東大震災に見舞われました。渡邊版画店も火災にあい、作品や資料、絵の具などの材料もすべて消失してしまいます。渡邊は版元活動の存続をかけ、新版画を再開させていきました。震災を受け、欧米を中心に多方面へ新版画を普及させていくという形に方向転換をしていきます。そしてその思惑は見事にはまり、新版画は国際的評価や人気を得ることとなりました。このような渡邊の成功に対し、そのほかの美術商や版元も後に続き、渡邊版以外の新版画の刊行も始まり、多彩な活動が展開していきました。

一方で渡邊は、浮世絵商としてのビジネスも再建する必要がありました。そこで、同じ浮世絵商である松木喜八郎らと共に、「尚美社」を設立し、共同で仕入れや販売を行い復活の軌道に乗せていきます。1925年に渡邊版画店は移転し、同年より新版画の刊行を本格化させています。名取春仙の「春仙似顔集」、震災後の東京を描く川瀬巴水の「東京二十景」など新しいシリーズの刊行を始め、さらに翌年には、花鳥画の小原古邨を画家に招き入れ、花鳥画の刊行と輸出販売を一気に拡大していきました。花鳥画は国を選ばない美しさや安価な価格から人気が高く、小原の作品は海外で高い評価を得ていました。

主な版元

新版画においては、個々の絵師の創造性を徹底的に尊重した、個性豊かな新しい浮世絵版画が出版され、このような渡邊の活動に呼応して新版画の制作に力を入れる新興版元が次々と現れました。関東では伊せ辰、東京尚美堂、酒井好古堂、川口、土井版画店、加藤版画、馬場静山堂、アダチ版画研究所、日本版画研究所、高見沢木版社、孚水画房、美術社などの版元が現れます。関西では京都に明治期創業の芸艸堂、佐藤章太郎、内田美術書肆、大阪に根津清太郎、真美社、関西美術社、兵庫に西宮書院、名古屋に後藤版画店といった版元が現れました。