伊東 深水 ITO Shinsui 静物三題 メロンと水蜜桃
伊東 深水 ITO Shinsui 静物三題 メロンと水蜜桃
作品情報
作家名 | 伊東 深水/ITO Shinsui |
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作品名 | 静物三題 メロンと水蜜桃 |
商品番号 | SH-0062 |
寸法 | 全体のサイズ:H37.0cm×W48.1cm 刷りのサイズ:H34.6cm×W44.7cm |
摺刷 | 不明 |
備考 | 「渡辺木版美術画舗工作」および「摺師 斧銀太郎」の印有 |
コンディション
ヤケ | ◯ | シミ | ◯ |
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ヤブレ | チギレ | ||
オレ | 裏打ち | ||
ムシクイ | マージンカット | ||
テープ跡 | ◯ | ピンホール | ◯ |
作品詳細
伊東深水といえば、華やかな女性像を描いた美人画を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。美人画のあまりの人気ぶりに、深水は美人画以外を題材に描きたくてもそれ以外の注文が来ず、画家として困惑する時期さえあったそうです。こちらはそんな深水作品の中でも珍しい静物画です。
小さくころんとした桃と、どっしり重量感のあるメロンの対比が面白い構図になっております。また、お皿の大胆な藍色が、画面を引き締めており、爽やかな夏の午前を想起させます。
水蜜桃は「すいみつとう」と読みます。白桃の一種で、ほどけるようなやわらかさと蜜を思わせるみずみずしさが特徴です。原産は中国で、日本には明治期に輸入されたようです。
作品の中にある水蜜桃は、頬のようにほのかに赤らんで膨らみくびれており、深水が描く美人画のように、どこか色っぽさを感じさせるような魅力があります。
キッチンやダイニングに飾りたくなるような一枚です。
作家情報
伊東 深水/ITO Shinsui
明治31年(1898)〜?昭和47年(1972)
日本 東京都出身
略歴
木材問屋を営む家に生まれた伊東深水は、地元の小学校に入学しますが、家業の経営が傾いたため3年次に中退します。10代になったばかりという年頃でしたが、当初は看板屋として、また翌年には印刷会社で職工となり家計を支えていきます。しかし一方で絵に興味を持ち、日本画家の中山秋湖に学び始めたのもこの時期でした。約3年後には美人画家として有名であった鏑木清方に弟子入りして「深水」の号を授かり、翌年には巽画会への出品作で初入選となりました。こうして日本画壇に名を知られるようになった深水は、さらに翌年、同展で一等褒状を獲得します。10代半ばにして大きく才能を開花させると、務めていた印刷所を辞め、画家としての活動に専念していきます。そしてそれから5?6年の間は、作品展への出品よりも新聞や雑誌の挿絵、特に木版画の研究や制作に没頭しました。 18歳で初めての木版画作品を発表すると次第にその名を広めていき、また木版画の復興を唱える新版画運動にも加わりました。川瀬巴水らと共に情緒豊かな作品を次々と発表し、その運動の流れを形作ったほか、第一次世界大戦後も新版画の版画家としてしばらく活動しています。
やがて1919年に結婚したのちは、妻をモデルとした作品「指」を描き、博覧会で2等銀牌を受賞。それからは妻を元に描く、生活の中にある美しく雰囲気のある一幕を主題に、美人画を多く発表していき、美人画を得意とした画家のひとりとして後年にも名を残す作品を仕上げていきました。
昭和に入ると画塾を開校し、30代後半には個展を開催。創作意欲は第二次世界大戦時にも続き、展覧会への出品を継続したほか派遣された先で4,000にも及ぶ素描を描きました。また戦時中には肖像画の発展を願った美術団体、青衿会を発足させています。
戦後、一時は疎開し関東から離れますが、間もなく戻り、以降は日展を中心に活躍していきました。1947年には発表作品が日本芸術院賞を受賞し、日本画家の児玉希望による画塾と青衿会を合併すると、後進の指導に尽力していくこととなりました。
作品の特徴
深水は一般に美人画家として有名ですが、はじめは社会の下層階級に注目した労働者、乞食、新聞配達員などを対象とした優れた作品を残しています。
制作の中心となったいわゆる深水風美人画は、歌川派浮世絵の正統を継いでおり、日本画独特のやわらかな表現が魅力です。妻である好子をモデルに大作を数多く発表し、評価を高めました。美人画以外の画題を描きたくとも、それ以外の注文が来ず、画家として困惑する時期もあったといいます。
戦後は美人画とも並行し、個人的に独自の題材で日本画を制作することが多くありました。人気のあまり、戦後には多くの作品が複製版画として頒布されています。